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尾崎豊
ゆうママさんとるっちさんに「尾崎ネタ」があったので、以下のことを書く。
これは、92年の出来事(芸能欄)を俺が綴った文。



*尾崎豊、突然の死去-死因は急性アルコール中毒による肺水腫、享年26歳。
・1984年、ティーンエイジャーの心象風景を等身大で歌い上げた邦楽屈指の名盤『十七歳の地図』でデビューを飾り、MTV勃興期以前であった為、雑誌の小さい記事と口コミでファン層を広げ、その年の末に日本的なビッグネームとなる。そして、1985年、あの音楽史上に名高い大ブームを呼び、若者のカリスマ的存在となり、数々のトラブルは引き起こしたものの常に邦楽シーンの中心に位置しつづけていた。
・しかし、尾崎豊、彼について批評的視点に基づいて言わせてもらうならば、彼のミュージシャン生命(その才能と存在そのもの)はファースト・アルバム『十七歳の地図』で終わっていたのだ。85年のあのおよそ尋常とは言えない大ブームにあって、マスメディアによって創り上げられた「尾崎豊」像とプロダクション・ワークによって造られた「尾崎豊」という商品が“尾崎教徒”とでもいうべき狂信的ファンの群集心理のなかで一人歩きし始め、尾崎豊自身が「尾崎豊」を裏切りそして超えていくことが出来なかった為、彼は「尾崎豊」に潰されてしまったのだ。彼の存在が86年以降虚無的でありつづけたのはその為であった。海外の優れたロック・ミュージシャンは、常にラジカルな方法論でファン心理に伴う自己を裏切ることによりファンを超え(即ち自己変革を行い)、音楽的にも常に変化しながら、メディアとしてのロックン・ロール[ミュージシャン自身とその音楽]を再組織してゆくのである。しかし、不幸にもそうした才能がなかった尾崎豊は、「尾崎豊」のなかに埋没し、音楽的にも金太郎飴のまま仮想的としてのファンを超克することが出来ず、無責任なメディアと彼に寄生する業界人、そして盲目的で批評性のないバカなファンの為に殺されたのだ。
・しかし、しかし、それでも、『十七歳の地図』は邦楽屈指の金字塔であり、タイトルナンバーである「十七歳の地図」がまぎれもなく日本の「ボーン・トゥ・ラン」であることを考えれば、彼、尾崎豊というミュージシャンはほんの一瞬であったにせよ偉大な才能の輝きを見せたと言ってよいだろう。米英における50年代から一歩も進歩し得ない日本のポップミュージック・シーンにあって、RCサクセション、山下達郎、坂本龍一、竹内まりや等々極一部の才能とともに状況を超えた偉大なアルバムを創り上げたのだから。
        -合掌。


と、書いた。
俺は、84年初頭に『十七歳の地図』を聴き、そのリアリティにすごい衝撃を覚えたことを、今でもリアルに思い出せるよ。
俺は、尾崎豊と同い年。即ち、彼が生きていたら今年で42歳だった。
42歳になった彼が、どんな歌を書いたか関心があるよ。


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この記事に対するコメント

私も尾崎が生きていたら今のゆとり世代の若者になんて言ったか、どんな曲を作ったか知りたいです。。

【2007/05/07 02:42】 URL | ゆうママ #- [ 編集]


ゆうママさんがご自身のブログで書かれていたように、BS2で特番が組まれるほど、彼は世代を超え愛され、また現役世代ファンだった人たちにもまだ愛されている、こういうことは素晴らしいよね。

【2007/05/07 16:14】 URL | 甲斐 #SJFEB.t. [ 編集]



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尾崎豊

尾崎豊尾崎豊(おざき ゆたか、1965年11月29日 - 1992年4月25日)は、日本のシンガーソングライター。本名、同じ。東京都世田谷区出身。ISOTOPE(アイソトープ)所属。1983年、シングル「15の夜」、アルバム『十七歳の地図』でデビュー。ヒット曲「卒業」
あいかの日記【2007/05/27 02:02】






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